術後2日目〈水疱と痛み〉

 丑三つ時。草木も眠る静寂の中、奴は暴れ続けている。

 

 ふと目が覚めた。早く寝たからだろうか。そんな事すら考えていないぼんやりとした頭で、寝ぼけ眼をこすりながらトイレに向かった自分は、そこで目にしたブツに戦慄した。

 

 異様に赤黒い亀頭。そこから生える直径1㎝ほどの水疱。 

 

 医者から腫れたり出血したりは当たり前だから気にしなくてよいと言われていたが、想像していた事態をはるかに超えている。急いでネットで検索をかけると、手術の失敗で使い物にならなくなるだの、性病がどうだの専門家でもない者が浅い知識をひけらかしているサイトや雑な説明で終わらせて「無料診察を!」と締めくくる営業サイトばかりがヒットして、信憑性のある良い情報が見当たらない。

 いたずらに不安を煽るだけで、明らかに情報を提示する姿勢ではない輩が善人面をして(善人面できていると思い込んで)文章を書いているのは、現代ではごく有り触れた現象で滑稽だと一笑に付して終わるような些事なのだが、不安を煽られる者としては怒り心頭である。

 

 怒りに震え、恐怖に震えながらも、冷静に自己判断ではなくクリニックの指示を仰ぐべきと考え、24時間対応の電話に連絡を入れる。

 

 結果、何も問題はないとのこと。こういう時の為に対応窓口があるのかと感心した。非常事態への対応という側面が大きいのだろうが、術後の不安を解消してもらった事でクリニックへの評価が格段に高くなった。医者の腕も大事かもしれないが、アフターケアが万全なのは口コミに圧倒的効果を発揮すると身をもって感じた。これで安心して寝れる。

 

 と思いきや…一安心すると、痛みが気になりだした。

 

 痛み止めを追加で飲んだが、亀頭過敏はどうしようもなく、擦れる刺激がつらいし、シンプルに腫れているところが痛い。

 

 それもそのはず。水疱は大きく膨れ上がっており「皮膚が腫れた」というより「皮膚から生えた」という印象を受ける程である。今にも破けて中の液体が飛び散りそうな様相だ。痛くないわけがない。

 

 頭では大丈夫だと分かったはずなのに、明らかに異様な姿を見るたびに不安は再燃するし、その間も常に細胞が警報を鳴らし続けている。

 

 家族も寝静まり、自分の立てる音以外は一切が静まり返っている。窓の外は風も吹かない冷たく穏やかな冬の夜である。

 周りの静けさが余計に自身の異常事態を際立たせるよう、無性に惨めな気分になった。

 

 「皮を剥いてごめんな…」そう懺悔しながら、頭まで布団に包まって寝た。

 

 

  

術後1日目〈激痛の帰路〉

手術後、帰路に着いた自分を待っていたのは激痛だった。

 

 クリニックを出て3mで悟った。これはヤバいと。帰り支度を済ませている間に麻酔の効果は完全に切れてしまったようで、自分の陰部は、先ほどまでの大人しさが嘘のように悲鳴をあげ続けている。

 じんじんとした激しい痛みが患部を襲う。真冬だというのに汗が噴き出す。絶対に傷んではならない部分の激痛に、本能が危険信号を発しているのが分かる。

 

「今すぐ家のベッドで横になりたい」「動きたくない」「帰りたい」「立ち止まって休みたい」

 

「今すぐ活動を止めて安全な場所で休め」という本能が暴走し、矛盾した思考で頭が埋め尽くされる。ぐちゃぐちゃになった頭の中で、僅かに残った搾りかすのような理性を必死に働かせて、何とか自分の体を操縦する。足取りはまるで、シルバーカーを押す老人のように鈍く、周りの通行人が早送りで倍速再生されているのではないかと疑ってしまうほどである。

 

 そうして、果てしなく長い徒歩10分の道のりを越えて駅に着いた時点で、既に自分の心は折れかかっていた。駅から自宅までは、まだ1時間残っているのである。電車に乗っている間はまだしも、乗り換えが2回、5分程度の徒歩が2回待ち受けていた。

 

 しかし絶望の淵で、自分はある事を思い出した

 

 痛み止めの存在である。先ほど飲んだ痛み止めを追加で飲むわけにはいかないが、爽やかな受付のお兄さんが「痛み止めを飲んでも痛い時は使ってください。」と渡してくれた物があった。あとで患部が腫れたり変色すると聞いていたので、その時に使う物だとばかり思っていた。だから抜け落ちていたが、それを今使わずしていつ使う。そう思って自分は、駅のトイレに駆け込んだ。否、よろよろと入った。

 

 ここでまた、絶望が待っていた。この世界は残酷だ。

 

 トイレの個室が埋まっていたのである。しかも、並んでいる人までいる。自分はトイレを去った。冷静に考えれば少し待てば良い話だが、その時は希望の芽が摘まれたような気分に陥り、自暴自棄になっていた。

 

 電車は地獄だった。幸い席に座る事はできたものの、荷物を膝の上に置く暗黙のルールに苦しめられた。荷物の重みが陰部を刺激し、車体が揺れるたび、陰部はけたたましく吠えて細胞を震わせた。

 普通の姿勢を保つことに必死で、眉間にはしわが寄り、息も浅くなった。傍から見れば、完全に体調不良の人である。コロナウイルスのオミクロン株感染者が急増していたこともあって、若干避けられているような気配を感じた。身体的な痛みに全神経を削がれているのに、周りの視線もしっかり痛かった

 そうして約20分間、走る拷問部屋の責め苦を耐え抜いて、駅に辿り着いた。ここでトイレに入る事に成功した。そこで、人生初の座薬を入れる事にも成功した。

 

 その間もずっと陰部は痛かったものの、これで痛みが和らぐと思うと気持ちは驚くほど楽だった。

 

 駅から5分の位置にあるバス停までの徒歩は変わらない苦痛を味わったが、座薬は効くのが早いのか、それともプラシーボ効果なのか、バスに乗り込む時には何とか痩せ我慢できる程度に落ち着いた。

 

 そこからは、苦しいながらも特筆するほどでもなく、無事、家に帰る事ができた。

 

 家に帰ってからは、痛みに耐えながら寝た。動けそうになかったので家族には体調が悪いと言って部屋に籠った

 痛いから寝れないかと思っていたが、それ以上に過度のストレス状態から解放されたという安心感が強かったようで、案外すんなりと眠る事ができた

 

そんな感じで、長いようで短かった手術日は幕を閉じた。

 

最後に、これから包茎手術を受ける人の為に、知見を共有したい。

痛みには2種類ある。

 1、患部の痛み   

   →ジンジンと鈍い痛み。常に激痛。刺激で更に痛む。

 2、亀頭が擦れる痛み

   →擦れた時に瞬間的にくる感じの痛み。ボクサーパンツ履けば軽減できる。

   →普段は痛いと思わない刺激でも、①の痛みと合わさるせいか痛く感じる。

〇家から近いクリニックを選ぶべき。徒歩距離は絶対に短く

〇痛み止めは使うべき。最初が一番痛いから迷わず最初に使って良い。

〇痛すぎて何もできないから、その日に予定は入れないべき

 

 

包茎手術体験記 No.4〈手術〉

麻酔がまあまあ痛い

 

 手術が始まるという事で手術台に下半身を露出した状態で寝転がらされ、少し待っていると、奥からおじいさんが出てきた。すると、胡散臭医が「じゃあ院長先生来たから手術はじめますね。」と言った。

 

 胡散臭医が手術するのだと思い込んでいた自分は、まるでキツネにつままれたような気分である。

 

「あの名医っぽい態度はなんだったのか」と突っ込みを入れたくなる気持ちを抑えて、大人しく壮年の医者に陰部を物色される。触り方が少し荒く、皮を被っていた自分の亀頭には、少し刺激が強かった。痛いほどではないが、腰を引きたくなってしまうあの感じだ。

 刺激で勃起してしまったらどうしようかと心配していたが、医者二人の顔を見れば簡単に落ち着くので安心である。なるほど。男性スタッフしかいないのは、そういう効果があるのかと感心した。

 

 ともかく、皮の長さを確認したりという作業が終わったらいよいよ麻酔である。これが怖い。極細とはいえ、ただでさえ敏感な部分に針を刺すのは、想像しただけで身が縮む。

 たしか、針を刺したのは、3回×2周、計6回だったはずだ。場所によって痛みの強弱は全然違っていた。最初の1回と最後の1回がものすごく痛かった

 

 思い切り顔を歪めていたら、胡散臭医が「大丈夫。頑張ってね。」と声援を送ってくれた。優しい。急なキャラチェンをするな。

 

 そんな感じで、優し医の声援もあって麻酔を耐え抜いて10秒ほどで、感覚は完全になくなった。麻酔が聞いているかの確認があった後、ついに手術が始まった。

 

 すぐ終わった。

 

 優し医と雑談してたら、いつの間にか終わっていた。「何かやってんなぁ」くらいで、途中からは手術中だという事すら忘れて、話に集中していた。

 

 終わってからも、あっさりしていた。生まれ変わった陰部も、縫合糸が飛び出ているくらいで、血だらけだったり、特別グロテスクな見た目だったりはしなかった。

 そんな事を思っていたら、優し医が包帯を巻いてくれた。その時に、消毒の仕方包帯の巻き方、どういう風にケアをすれば良いかまで、丁寧な説明を受けた。

 

 その後、痛み止めと化膿止めを飲み支払い手続きを済ませ諸々の薬を処方してもらったら、終わりである。薬の説明を受けている時に、麻酔が切れてきたのか、徐々に陰部が鈍い痛みを発してきたが、痛み止めが効くまでの辛抱だろう。

 

 クリニックに居たのは僅か80分である。あっけない。

 

 「こんな事ならば、もっと早く手術すれば良かった。」

 

 「早く支払い済ませたいし、来週からバイト頑張るかぁ。」

 

 そんな風に、のんきな事を考えながらクリニックを後にした。麻酔が頭まで効いてしまったのか、不思議なほど気持ちは穏やかだった。

 これからの期待に胸が高鳴るでもなく、お金の心配で不安になるでもなく、手術を終えてホッとしている感じでもない。本当に何も思っていない「無」である。まるで、俗世から遮断され、草木を揺らすそよ風すらも吹いていない、世界から音が消えたかと錯覚するような神々しい草原を想起させるほど、心は静かであった。

 

 何だったか。この静けさを表す言葉があったような…。 

 

 

 

包茎手術体験記 No.3〈診察〉

胡散臭い医者には高額な治療費がつきもの

 

 当日、朝から落ち着かない気分で午前の予定を済ませ、クリニックへ向かった。外装はクリニックらしく小綺麗で、中に入ると良い感じの黒いソファがあり、落ち着いた雰囲気が漂っていた。完全予約制で鉢合わせはないとの事だったので、特に気負う事はなかった。だから、雰囲気に気圧されるだけで済んだ。

 受付の男性は、若々しく爽やかで気持ちの良い対応であった。間違いなく自分より一回りは年上だが、数歳しか離れていないように錯覚するほどのお兄さん感である。

 

 用紙に必要事項を記入しながら雑談をした。記入事項に、包茎の種類を選択する欄があり、カントン包茎に〇を付けた。そう、自分はカントン包茎なのである。

 カントン包茎は、包皮口が狭いため皮を剥くと締め付けが発生するタイプの包茎である。自分は、診察した先生によると「うん。カントン包茎だね。典型的な普通のやつ。」だそうだ。あっさりしすぎてて胡散臭いが、明らかに慣れている様子は信頼できそうで、複雑な気分である。

 診察の時は、陰部を出す事に抵抗を感じるかと思ったが、先生のあまりにも当然のような振る舞いに、恥ずかしさを感じる余地すら存在していなかった

 

 その後、様々な説明を受けた。包茎の種類治療費といった基本的な事から、保険適用内での治療も可能だが仕上がりが異なる事、洗えるのであれば包茎の治療は必ずしも必要ではない事など、十分に信頼に足る対応なのだと思う。

 ただし、自身満々に歯切れよく喋る医者は、いかにも優秀そうで、どこか胡散臭さが漂っている。裏では、とんでもない事をやっているのではないか。信用させておいて、実はオプションをたくさん付けて自分をカモにしようと企んでいるのではないか。疑心暗鬼である。

 杞憂なのだろうが、警戒しておくに越した事は無い。金と皮が懸かっているのだから。

 

 まあ、ともかく。目的は手術である。

 

 約40万円という学生の自分にとっては高額な治療費に一瞬躊躇したものの、事前に調べていた相場感で言うと、法外ではなさそうだったので了承した。

 

 そうして、診察後すぐに、その場で手術を受ける事となった。

包茎手術体験記 No.2〈電話〉

どこで電話をかければ…?

 

 最初の難関はそこだった。まさかこんな所で躓くとは。

 自分は実家暮らしだ。基本的に誰かが家にいる上に、部屋の扉は今時珍しい襖である。つまり、声が丸聞こえだ。包茎手術の話など聞かれたくない。

 かと言って外に出ても東京には人が多い。人気のない場所など中々見つからない。そもそも外で話す内容ではないだろうし、どうしたものか。

 

悩んだ挙句たどり着いた答えは、カラオケだった。

 

 幸い、おひとり様は得意な性質なので、「ついでに歌って帰るか」くらいの軽い気持ちで入店した。そうして、部屋に流れている陽気な音楽を消し、静まり返ったカラオケルームで、大手包茎手術専門クリニック「東京ノーストクリニック」のフリーダイヤルに電話をかけた。

 

 3コールで相手は出た。男性だ。こちらが学生だと分かった途端に、敬語を外してグイグイ話しかけてきた。苦手なタイプである。まあでも、悪い人ではないようで、その人なりのやり方で誠実な対応をしてくれた。

 

 電話では、自分の包茎の状態を説明して手術したい意思を伝えると、すぐに無料診察へと誘導された。偶然、翌日に空き時間があった為、予約をした。驚くほど早い。

 しかも、手術自体は30分程度で希望とあらば診察当日にできるという。驚くほど速い。

 唯一、遅かったのは電話を切るタイミングである。一通り要件が済んだ後に、「頑張って包茎治して良い人生送ってね」的な話を5分くらいされた。完全にありがた迷惑である。

 こっちはフリータイムではない。それがなければ、もう1曲歌えたのである。

 

 ともあれ、予約を取る事には成功した。あとはクリニックに行くだけである。少し心が高鳴っているのは、『猫』で初めて90点を超えたからだろうか。

 

 

包茎手術体験記 No.1〈前書き〉

今日、22年間に及ぶ包茎人生の幕が降りた。

 普通の人が何歳で包茎を卒業するのかは知らないけれど、割礼にしては遅すぎるくらいなのだと思う。今まで、ぬくぬくと皮に守られてきた亀頭が「なぜ切った!!」と悲痛な叫び声をあげている。自分も、気が遠くなるほどの激痛に「なぜこんな事をしてしまったのだろうか…別の道もあったじゃないか…」と後悔しそうになっている


その痛みを紛らわすために…否、気持ちが負けないように、この体験を記録に残すことを決めた。


自分がなぜ手術を受けたのか。手術を受けて何を思うのか。

 この経験が後世の礎となる。自分は人柱なのだ。そう考えれば、今自分を襲っている苦しみなんて大した事ではないと思える。なので、少しでも多くの人がこの体験記を読み、性器に関する悩みを解消する糧にしてくれる事を願っている

 自分はあなたを救いたい。あなたが救われれば、自分も報われる気がするから。だから、一文字でも多く読んで欲しいし、少しでも役に立つ事を書きたいと切実に思っている。「心が楽になった」とか「役に立った」と言って欲しい。なんなら嘘でも良い。そんな感じである。

最後まで付き合って頂ければ幸いだ。